山口県の歌碑

生田蝶介の歌碑(下関市長府)
ふるさとの赤松山のおもひでの松の匂ひをしのぶ秋の日

秋も深まった頃、下関市長府の覚苑寺を訪れた。歌碑は本堂に向かって左側に本堂を背にするように立っている。
境内にはクスノキとモミジの木々があり、木の葉を漏れる柔らかな陽が、朝の碑面を包んでいた。
紅葉にはまだ早かったが墓掃除に来ていた人が、もみじ寺というくらい紅葉がきれいなところだと教えてくれた。
生田蝶介は明治二十二年、山口県長府姥ヶ懐に生まれた。明治三十五年十三歳で京都に出て、明治四十年に早稲田大学英文科に入学している。
この歌は、第二歌集『寶玉』(大正八年)の中の「故郷遠し」十首の内にあり、一連に当たり「われ十四の春より旅の子となりて故郷戀しの思ひに涙多かりき」と記している。
蝶介三十歳のときである。
覚苑寺は元禄十一年に創建、開基は長府藩三代藩主毛利綱本とされ、毛利家の墓所でもある。蝶介の家は代々毛利家に仕えており、第二十四代覚苑寺老師は蝶介の叔父にあたる。
歌碑近くの「碑面刻歌」には「当寺は先生少年時代の夢と詩情揺籃の地たり。
その限りない業績を郷土にとどむるため、門人相謀り、先生の米寿を記念して、此処に碑をなすもの也。」
昭和五十一年五月とある。門人とは、蝶介が大正十三年に創刊し、主催者として半世紀余り後進の指導にあたった短歌誌「吾妹」の人たちである。