万葉の歌碑

(下関市豊北町 角島)藤本喜久恵

万葉の歌碑

藤本喜久恵

島の迫門(せと)の若布(わかめ)は人のむた荒かりしかどわがむたは和布(にきめ)
万葉集巻十六 三八七一 読人知らず

下関市豊北町大字角島、島の中央あたりに角島小学校はある。
浜から小さな坂を上ると目の前に運動場があり、運動場を隔てた正面に角島小学校の校舎がある。
万葉の歌碑は校舎に向かって右側、運動場の傍に緑を背景に位置している。
歌碑は想像していたよりはるかに大きく、碑のそばにある案内板の文字とは少し違うが、黒みがかった石に力強い筆跡でくっきりと刻まれている。

角島の純情な乙女を防人がわかめになぞらえて詠んだものとされ、案内板には「角島の瀬戸のわかめは、他人には荒々しくてなびかなかったが、私には優しく素直であった。」という歌の意味と、
奈良平城京跡から出土した「長門国豊浦郡都濃嶋所出穉海藻天平十八年」と書かれた木簡が紹介されている。

このことから角島は古来より良質のわかめの産地であったことが分かる。
和海藻はやわらかな海藻で、若い女性にたとえられた。
日々糧として採取する若布が大切なものであったと同時に、女性の優しく素直なイメージと重ねて愛されていたことが推測できる。

この歌は他に「角(つの)島(しま)の瀬戸の若(わか)藻(め)は人の共(むた)荒かりしかど吾が共は和藻(にきめ)」や「角(つぬ)島(じま)の迫(せ)門(と)のわか海藻(め)は、人のむた荒(あら)かりしかど、我がむたは、 和海藻(にぎめ)」など、同じ口訳でも漢字の当て方は様々ある。
碑の背面には昭和五十年十二月とある。また和海藻はやわらかな海藻で、女性にたとえられていたことからも、「わかめ」は「若女」を連想させる。
中西進編の角川書店『鑑賞日本古典文学第3巻万葉集』には、古くは海藻のことを「にきめ」といっていたことが書かれている。
このほか「わかめ」は「若布」「わか海藻」「若藻」などがあり、「にきめ」は「和海藻」「和布」「若海藻」「若藻」などの表記がある。